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「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

27.めらんこりっく?

負け犬の遠吠え:めらんこりっく?

 ハッキリ言って私は『怖い話』大の苦手である。
 いや。
 『好き』なんだが直視できないのだ。
 『ほら~』なんて。
 ガキの頃親の後ろに隠れてTVの『怖い話』なんてのを見ていた。
 結婚してからは家内の後ろ『指の隙間』から視ていたのである。

 「『リング』なんてチットモ怖くなんかないし全っ然面白くもないっ!」
 「後ろでしか視れないんなら、こんな番組なんか視るなっ!」
 なんて良く家内に怒られたものだ

 そして『恐怖映画』以上苦手なものがある。
 それは『悲劇(とらじぇでぃ)』
 『哀しい場面』どころか、物語が『哀しくなりかけたかな?』って感じると急にソワソワしてしまう。

 絶対に『病室風景』なんて正視できないし、
 『危篤』なんて冗談じゃない
 『ご臨終です。』ってTVで言っている頃には決まって便所の中で座ってる

 だから、『悲劇(とらじぇでぃ)』なんて、今まで一遍も『最初から最後まで』視たことなんてない!
 自慢することではないが・・・。

 それが、最近『エンジェル・ハート』っていう『シティ・ハンター』後続アニメに嵌っている。
 『シティ・ハンター』は、主人公『冴羽リョウ』と『槇村香』が、『ボケ』と『ツッコミ』を繰り広げる。
 まあ、関西人には馴染み深い『吉本新喜劇』の『固茹卵編(はーど・ぼいるど・ばーじょん)』だと思ってもらえば判りやすい。
 まあ少々『泣き』も入るが、『岡八郎』や『花紀京』時代の『吉本新喜劇』には良くある事だった。
 『笑いの中に涙あり』
 『吉本新喜劇』の真骨頂である。

 でも、『エンジェル・ハート』って暗い
 第1話『槇村香』が死んでしまうし
 ・・・。
 『笑い』よりも『哀しみ』の比重が重い
 まるで『藤山寛美』の『松竹新喜劇』である。

 未だガキだった私は、『寛美』『聡さ』鼻に付いて仕方がなかった
 『ワテはアホや』なんて言いながら『寛美』『聡明さ』直感的に嗅ぎ付けていた
 だから『気が付けば胸が熱くなってる』のに『松竹新喜劇』次第に縁遠くなった
 今、考えると『藤山寛美』って人は、紛う事なき『天才』なんだと思う。
 以来、『喜劇』なのに、あそこまで泣ける芝居なんて見たことがない。

 『エンジェル・ハート』も・・・
 独り画面を見ながら笑っている気が付いたら涙が零れてる
 そして、それは何故か『爽快』なのだ。
 日本人が古来より『喜劇(こめでぃ)』より『悲劇(とらじぇでぃ)』好むのが少し判った様な気がする。

 だからといって未だ未だ私は・・・
 『シェークスピア』でも『じゃじゃ馬ならし』や『十二夜』なんてのがお気に入り
 『ハムレット』『オセロ』なんて『四大悲劇』一冊も読んじゃいない、『ロメオとジュリエット』は、「ケツの青い十三・四のガキの純愛なんてケツのアナがムズムズするモンが読めるかっ!」って中学生時代から敬遠している
 高見順『今ひとたびの』なんか「如何すりゃコンナすれ違いのお話」が創れるんだっ!
 『いらち(直ぐに苛々する性格)』の私には頁をメクルのが苦行だった。
 お昼『めろ・どらま』によくある『依り酷い悲劇性を求める展開』なんて眩暈がしてトテモじゃないが付いていけない

 『笑いに彩られていながら気が付いたら泣いている』くらいが限界のようである。
 そして『ええ噺やったっ!』って穏やかに振り返られるのが上質『悲劇(とらじぇでぃ)』なんだと思ったりして。
 ・・・違うか

 「うつ」の時って・・・
 『頭』だけが高速回転している。
 だから『笑い』も『哀しみ』も感度が高い

 でも『笑い』って不図乾いてしまう
 『大笑い』してても不意に沈み込んだりして
 その分『哀しみ』は深い
 次から次へと『哀しいこと』ばかり考えてしまう

 そんな中『微笑み』を纏った『哀しみ』ってのが心に染みる
 そんな余韻に浸っていると何時もの『哀しみの連鎖』は暫くは訪れない
 まあ、『脳』を酷使するんで翌朝は辛いことになるんだが

 『気だるいメランコリック』なんて気分が意外に心地良い
 まぁ
 何時かは『心から微笑える時』も来るだろって想いながら


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